続・黒い蛇

 胃カメラ記念日決定。

 せっかく先生が紹介状を書いてくれたのに、わたしゃ、ふんぎりが付かずにいて、ほっといたら連絡があったのだ。その後いろいろあって、紹介されたところと違う病院で受けることになった。

 いよいよ、胃カメラ当日。
 駅から病院へ向かう道沿いにガン検診のワゴン車が止めてあったり、たまたま読んだ朝刊にはガンの話が載っていたりで、悪魔の演出は絶好調だった。ほんの少しだけ、ガンを宣告された人の気持ちがわかった様な気がした。

 その病院はやけに古びていた。しかも胃カメラの検査室は、薄暗い廊下の突き当たりにあって、なんだか気持ちが滅入る場所で、ひょっとすると、方角的に鬼門といわれる場所かもしれなかった。これはやっぱり紹介された病院にすればよかった・・と思ったが、後悔先に立たずってやつだ。

 検査室前で順番を待っている間、ドアの隙間から看護婦さんの「ごっくんしてっ」というなんだかよくわからない言葉や、先生の「逃げちゃダメ」といった声が聞こえてきた。私の顔は「へっちゃらだよん。たかが胃カメラじゃないか」という表情を懸命に作ってはいたが、他人の目にはこの世の終わりという表情に映っていることは、ノストラダムスの恐怖の大王が降ることよりも、ずーーっと明らかだった。

 ついに私の順番だ。
胃の動きを止める注射とノドを麻酔する恐ろしくマズイどろどろの液体を口に含んで準備完了。先生が黒い蛇を口元に突出し、口を大きく開けるように言った。

 いざ、突っ込むぞって時は、歯ブラシしてるときに「おえー」となることがあるけど、あの何十倍の「おえー」に襲われた。先生に「気張らないで」って言われるんだけど、ほとんど条件反射的に「おえー」ってなるのは止められなかった。それを「気張らないで」って言われてもなぁ。

 そのとき、看護婦さんがあの謎の呪文「ごっくんして」を唱えたのである。私は反射的に「ごっくん」をした。なんとその零コンマ何秒の隙に黒い蛇はスルリと食堂(ではなくて食道)に入っていった。なんてこった、「ごっくん」の偉大なる力に私は打ち震えた。ここでは、「ごっくんして」は魔法の言葉だったのだ。

 その後は、胃に入った蛇がうねうねと動くたびに涙が出そうなほどの不快感を感じたが、モニターに映し出される自分の胃の内部を冷静に観察する余裕も見せていた。

 そして、ポリープ発見。検査のため組織の一部を採取された。胃に傷がついてしまった。私の胃も傷物になってしまったぁーおよよ、と泣く暇もなく役目を終えた黒い蛇はするすると出ていった。

 実際は五分ほどだったかもしれないが、私にはネアンデルタール人が現代人に進化できるだけの時間が流れたように感じた。検査の結果は後日説明するといわれた。また悶々と悩みの日々がやってくるのか?。

 しかし、私には大きな確信があった。モニターに映し出されたポリープはなんだかキレイだった。ポリープがキレイというのも訳がわからないけど、とにかくどう見ても、ガンという姿には見えなかったのだ。

 そして結果発表の日。
小さなポリープがあるけど見た目も良性だし、細胞検査の結果も良性であったことが告げられた。結局、発見から1ヶ月以上もかかってしまった。ポリープのことを聞いて以来、胃がすっきりしなかったけど、結果を聞いたとたんに軽くなった気がした。

 これからはもっと、自分の臓器に愛情を注ごうと思った。美味しいものを食べた時は「おいしい」って思って喜んでいるけど、その後に胃や腸が懸命に働いてくれていることを忘れていた、なんともありがたい事ではないか。もっと自分の体を好きになって、いたわらなきゃいけないと思ったのでした。

 おわり